愛情ってなあに?(1)
はじめまして!えりです! - LateMarshmallow’s blog
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【今日の内容】
・愛情に関して鈍感な私
・名前の由来は、無い。
・家庭内差別
・私は家族の“邪魔な存在”
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愛情に関して鈍感だと考えるようになったきっかけは、パートナーからよく言われる言葉だった。
「最近、なんか冷たくない?」
「俺に対する、愛情表現が足りない。」
冷たく接しているつもりは全くない。
また、愛情表現とは何をすることなのか、分からないのでできない。
「私は愛されている」という感覚も、時々分からなくなることがある。
パートナーが求めている“わたし”になれば、好きでいてもらえる。それが出来なければ愛されなくなって、捨てられるかもしれない。
パートナーから「大好きだよ。」と言われても、こんな何も出来ない私の何が好きなのか、理解ができない。
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この、愛情に対する鈍感さは、私のトラウマが原因だと考えている。
私は、5人家族で三姉妹の長女として育ってきた。
小学二年生の生活科で、「自分の名前の由来をインタビューしてこよう。」という宿題があった。
母親に聞くと、
「画数でいいやつから適当に選んだから、意味は無いよ。」
と言われ、その場で名前の理由を考えてもらったことがあった。8歳の私には、かなりショックだった。同じ思いを妹たちにはさせたくない、と思った私は母親に、妹たちの名前の由来を考えることを提案し、一緒に考えた記憶がある。
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父親は私にだけ厳しくあたり、家族全員で食事をしていても、私だけ箸の持ち方や茶碗の持ち方を注意されたり、全員でテレビを見ていても、妹たちの発言は聞き入れるが、私の発言は否定された。
いつからかは断定できないが、父親の休みの日に家族で出かける時は、私だけ家でお留守番をさせられるようになり、高校の頃には朝早くから夜遅くまで私だけ図書館で勉強させられていた。帰宅時間も、家族の夕食が終わったあとを母親に確認してからしか帰らせて貰えなかった。
父親だけではなく、妹たちともほとんど顔を合わせることがなくなっていた。父親の前では宿題や勉強をしていると怒られるので、19時半までには必ず就寝して、朝3時から5時過ぎまで学習、6時には家を出る生活をしていた。これは、家族の中で私だけだ。
夜はテレビの音が大きくて眠れなくなるので、なるべく早く寝なければいけなかった。なかなか眠れない時は、布団をかぶっても楽しそうな家族の声が気になり眠れなかった。
勉強しなきゃいけないのも、私だけ。
友だちと遊ぶ約束をしてはいけないのも、私だけ。
生活時間を変えなきゃいけないのも、私だけ。
一度母親に、なぜ私は“お出かけ”に連れてってもらえないのか聞いたことがあった。
母親には、「えりがいると、お父さんが怒って空気が悪くなるから。えりのためだよ。」と言われ、私がいると空気が悪くなるという言葉にとてもショックを受けたが、私は「そうだよね。わかった。」としか言えなかった。
また、母親や祖母(母方)からは「妹2人は、要領がいいから結婚もすぐできそうだけど、えりはずっと1人だ。」と言われ、将来性のなさを決めつけられていた。
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父親は、職が長続きせず、すぐに転職したり働かなかったりすることがよくあった。また、過去に付き合っていた女の人と浮気もしていたし、怪しいサイトを見たのか架空請求の電話が家にかかってきたこともあった。
母親もパートで働いていたが、家計は苦しく、父親の夕食は5品あっても、子どもたちはご飯と味噌汁だけ、なんてことはよくあった。
母親はこういった家計の悩みを、私に相談していた。母親は看護士の免許をもっているので、離婚して自立することを提案していた。しかし、母親も自分がフルタイムで働きたくはないようで、結局「お父さんは、私がいないと生きていけないから。」とかいう理由で別れなかった。
この相談の時に、よく母が言っていたのが、
「なんでお父さんと結婚したんやろ。」
「お父さんは私がいないと、なにも出来ないから。」
という言葉だ。この2つの言葉を聞く度に、私自身は生きている意味が分からなくなっていた。
まず、両親が結婚したのは、私が産まれてしまったからだ。結婚式の写真にも、しっかり私が写っている。まあつまり、“結婚しざるを得なかった”というものだ。私がお腹にできなければ、両親の結婚はなかっただろう。
次に、私が父親から差別されて苦しんでいることを知っていながら、それでも父親を守っているからだ。私は結局、“家族の楽しい時間”を“悪い空気”に変えてしまう邪魔者でしかない、と思い知らされた。
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家庭内差別は、私が愛情に鈍感な理由の1つでしかない。しかし、【誰かに必要とされていること】を存在意義と捉えてしまうようになった、大きな原因だ。
思春期以降の自己肯定感も低くなるし、自分で行動できなくなるため、決してあってはならないものだ。
上記以外のトラウマ経験については、また別の記事にまとめる。子どもに対する愛情について、考えるきっかけになればと思う。
その言葉や行動は、本当に子どものためか。
私の母親は、自分を守ることしか考えてなかったと思っている。
1人でも苦しむ子どもが減りますように願っている。